最近ふとあたまに浮かんだ、
“白鳥は哀しからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ”
/若山牧水
宮崎県日向市出身の歌人、若山牧水の作である。
白鳥が空にも海にも染まらずに一匹で飛んでおり、その姿を自身に重ね、寂しくないのか?
という歌である。
田舎の海の思い出
海や川といったレジャーの季節になるとなんとなく思い出す。
以前パパを故郷の海に連れていったことがある。(自分は泳がなかった。)
そこは田舎のさらに田舎で、外国人なんてきっと珍しかったのだろう、パパが泳ぐとその周りから人が離れた(気がしただけ)。パパの泳ぐスペースだけ広くなった。
私としても、外国人を連れてきたと変に意識していただけかも知れない。急に外国人が来て地元の人々はどう思うかと勝手に考えていた。
彼らにそんな意図はなかったかもしれない。しかし一人で泳ぐパパを見て、少し切なくなったのは事実。一度海からでて、また人のいるところに泳いで行っても、人が離れていく…。(ように感じた)
後から少年たちと一緒になって貝やカニを見つけて遊んでいた時も、かごを持っていた少年に貝をあげようとしたが断られたようで、「きっと自分が外国人だからだね」と笑っていた。これも切ない。
そんなこと気にしなくていいのよ。子どもは純粋だし。きっとパパの採ったやつは彼らのに比べて大したことなかったんだよ。笑
外国人だからだねーなんて、そんなセリフを吐いたので、恐らく海でも本人は気づいていたのだと思う。
そんなことを気にする繊細な人ではないけれど。
公園や電車で
息子を連れての公園で、他人の子どもに遠慮なくじろじろ見られることがある。誰だってじろじろ見られたら嫌だろうな。そんなときは、私が積極的にその子どもに声をかける。(が、大抵去っていく。やり場のなくなる笑顔。笑)
電車の向かいからちらちら見てきた子どものことも、すごく嫌だったと打ち明けられたことがある。
(うちのパパの嫌がることをするのは子どもとて許しませんことよ。)
そもそも誰も進んで差別をしようという人はいないはずだ。特別、この国にはいないと思いたい。道徳の授業で学ぶ。でもやはり、言葉が通じないと思うと、近寄りがたかったりする。話しかけられても、困ることもあろう。仲良くしたくても言葉がわからないと恥ずかしい。そんな気持ちは私にもよくわかる。
避けることに悪気がないのもわかるし、珍しいから見たいのも分かる。
(東京にはわりと外国人もいるから、そんなに珍しくもないですけどね。)
でも、そんなことで、パパが嫌な思いをしないでほしい。嫌なのは湿気と夏の暑さだけでお願いします。他にもあるか。「小さい少ない値段が高い」
これだ。
“白鳥は哀しからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ”
あまり関係ないようでしたが、パパが一人泳いでいたときになんとなく浮かんだのでした。
そして最近プールにいったのでまたなんとなく浮かぶ。
だがもはや私には白鳥でなく、パパ。海に浮かぶパパ。
そう、白鳥はパパ。
たった一人で泳いでいるなあ。寂しいか?すまない。
そんなふうに思い出された一句。
当の本人は寂しくない。
でも今は、相棒の息子チュウがいるから大丈夫!
息子チュウゲットだぜ!
若山牧水のこの歌を英語にしてみよう
Seagull drifting in the sky
above the ocean on its own
I know you feel lonely
I know ‘cause I’m lonely
解釈
カモメが海上、空高く飛んでいる
寂しいよなあ、私もひとり寂しい
解説 : 私のなかでは、カモメが一羽で羽を広げ青空高く飛んでいるさま、眼下にひろがる青い海の情景が浮かび、青色と決して交わることのないこの白が孤独をより一層強調している。このような解釈となりました。
“白鳥は哀しからずや空の青
海のあをにも染まずただよふ”
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先生の著書のなかでは、鳥の白、空の青と、海のあをの対比が美しく、白鳥も一羽とて、青色に交わることなく力強く翔んでいる、牧水自身もそうありたいという解釈で、深く考察されたものでした。
英文学者本多平八郎氏の著書↓↓