お辞儀の文化はアメリカにはないけれど。
信号機のない横断歩道を渡ろうとしていたら、車が停まってくれた。その時、パパのした行動がかわいらしかった。
パパはまず片手を挙げて、ありがとう!の意をドライバーに示した。そして渡ろうと前を見ると、恐らく横目に私が会釈をしているのが目に入ったのだろう。彼も咄嗟に、会釈をした。
あ、間違った!みたいな感じで会釈をした。かわええ。こんなときは会釈をするんだな、ふむふむみたいな感じなんだろうか。和む。
会釈か手を挙げるか
もちろん手を挙げるで間違ってはいない。
日本男児はそんなとき、どうするんだろうと、考えてみたら、会釈って、女子っぽいのだろうかと思った。
どうだろう。そんなことはないだろうか。若い人が会釈をする傾向?そして、年齢があがるにつれ、手を挙げるようになっていく?
私の中にはそんなイメージが存在した。でも、年配の方でも丁寧に会釈をしてくれる人はいる。難しい。会釈は、する側が立場てきに下のような気がしする。そうすると、会釈するかどうかは相手によりけりなのかもしれない。でも稲穂は実るほどこうべを垂れる。
パパの取り入れる日本文化は私に由来するところも多いので、責任は重大だ。
語尾を気にする
こんなこともたまにある。
どこどこに行こうよ!とは、私がいうセリフ。
それをパパは、「よ」が少し中性的だと理解していて、しばしば「よ」を抜かす。抜かせばいいとの考え方があるように見受けられる。どこどこ行こう!という風に。至って普通だ。女子でも男子でも言う。
それが、時に、どこどこ行こうぜ!になったりするのだが、発声の仕方なのか、なんなのか、取って付けたようで、「ぜ」の本領が発揮しきれていない。
そもそも「ぜ」ってあまり聞かない気もする。
小学生男児が早く行こうぜ!なんて言っていそう。
よく分からないが、パパの使う「ぜ」には、少し違和感を覚える。
日本人の話し相手は、ほぼほぼ私なので、女子っぽいしゃべり方にならないように、彼なりに頑張っているのかもしれない。微笑ましい。
そうなると、今度は、私のしゃべる英語はどんどん男性よりになっているのだろうかと疑問が出てくる。私の英語が男性よりなので、それを鏡にして自分の日本語に気を配っているのかもしれない。
謝罪への意識の違い
アメリカ人は謝らない、こんなこと聞いたことがあるだろうか?日本ではよく謝罪会見などで、偉い人たちが一斉に頭を下げていたりするが、「何やってるの?」ときいてくる。
形だけの謝罪をよしとしない彼ら。謝罪よりもなぜそうなったか原因を明らかにし、今後どうするか、姿勢で示す。ある主合理的で、そう簡単に非を認めない傾向にある彼らなのだが、
付き合い当初より、パパからの謝罪の言葉が増えてきたなと感じる。
でも I’m sorry.はあまり聞かない。彼は、ごめん、という。つまり何かというと、アメリカンてきには、謝罪の場面ではないけれど、ジャパニーズてきには恐らく謝罪を要求されているのだと判断し、日本語でごめんという。こういうことなんじゃないだろうかと、分析している。
まとめると
こんな諺がありますね。
郷に入っては郷に従え。
これは英語では、
When in Rome, do as the Romans do.
といいます。
as : ~のように
ローマに来たら、ローマ人がやるようにやりなさい
その地域や社会の慣習に従うべきという教えですね。
元になった話とは?
アウグスティヌス帝(St.Augustine)が、ミラノからローマを訪れることになりました。そのローマでは断食が土曜日でしたが、ミラノでは土曜日は断食の日ではありません。どうしましょうかと、司教アンブロシウス(St.Ambrose)に相談したところ、彼は「私ならミラノにいれば土曜日に断食はしませんが、ローマに行けば土曜日に断食をします」と答えます。
この返答が、When in Rome, do as the Romans do.の元になった話と言われています。
アメリカパパも、When in Japan, do as the Japanese do. 日本にいるときは日本の慣習に従おう!としてくれている姿がなかなかよろしおすです。と微笑ましく思った出来事でした。
最新のオススメ記事